とある若者が、ぽつりと言った。
意味がよくわからなかったので、詳しく聞いてみた。すると彼は、コンビニでの日常的なワンシーンを例に挙げた。
「僕は毎朝、コンビニでお茶を買います。コンビニで売っているお茶って、どれもそれなりにおいしくて、ハズレを引いたことなんてないじゃないですか。正直、味の違いも大してわからないし。それなのに毎日、僕は『どのお茶にするか』を選ばないといけない。それがなんだかダルくて。意思決定をする労力は、もっと重要なことに使いたいと言うか……」
周囲にいた若者たちも、彼に続いた。
「わかる、あれマジで無駄な時間だよね。めっちゃモヤモヤする」
これは新しい感覚だなと思った。同時に、妙に納得もした。
たしかに私も、同様のモヤモヤを日常生活で感じていた。
モヤモヤする、という状況を言い換えると「決めかねる」という表現が近い。
今の時代は、モノが溢れている。情報も溢れている。SNSを使えば、多くの人や企業と出会うこともできる。つまり今の世の中には「選択肢」が溢れている。
モノや情報、出会いが少なかった時代は、そもそも選択肢が限られていた。必然的に、選択する機会も少なかった。しかし今や選択肢が山ほどあるので、生活の中で選択を迫られる機会が爆発的に増えている。
緑茶、ほうじ茶、麦茶、紅茶、ウーロン茶、ジャスミン茶、さらにはそれぞれのメーカーやブランドの違い、糖分や添加物の有無、健康促進機能、温かいか冷たいか常温か……。どれを選んでも「まあ、悪くはない」という状況なのに、私たちは毎回「どれにしようか」と頭を悩ませる。
また、そんな選択肢に対する判断材料も際限なく増えている。
日常の些細な選択も、人生の重大な決断も、何かを選ぶ時、私たちは事前に口コミや評判をチェックするのが当たり前になった。
裏を返せばそれは、選択の際に膨大な情報を処理しなければいけなくなったということだ。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/372e2d4bdccdb732ea757bcceadd54b97cc0874a?page=1
え、別に好きなお茶選ぶだけなんだけどw
選ばされてるって感覚草w
女がこれだよな
ぜんぶ「やらされてる」「押し付けられてる」
靴でも化粧でも生理でも、
かわいいでも
『責任』というババを誰かに押し付けて生きてるのよね
本当に卑怯な国になった
こんなん、自分の定番決めれば済む話なんだよな。
松山千春も言ってただろ、「俺はコークだ!」って。
都会では そんな感じなのか?
それが分からないんだろうねw
> コンビニでお茶を買うこと自体が無駄とは思わんのか
自宅で作って持っていけば選択肢すら無いのにな
自宅でどのお茶を作るのか迷うんじゃないかw
正しい姿だよ